hysteric blue@嘘喰い


■ 『色以下』…てか…んーと…アレ? 誰コレてか何だコレ?
確か…当初は18巻扉絵の斑目さん(15歳時より少し歳取ってたっぽい?)と、アレとソレがちっさい頃&若かった頃の夜行さんとかをネタ的に描こうとしてまとまらなくて、酒を呑みつつビデオ観ながら描いて消してを繰り返してて、「あーそろそろUPしないと?」とか思った頃にはこんなんなってました。
…何で?(聞くなよ)
■ 「そいや久しぶりにこーいうノリの絵を描いたな?」と思いました(ニデラの頃にはよくやってましたが)
あと、正直扉絵のは見て先ず「包○治療なタートルネックの人の広告を思い出すな?」と思いました。うーん…外明るいし眠いし、もう寝る。(呑み過ぎ)



■ UP時はもう金曜朝なので、18巻の感想。(207話の感想は前日記事に)
嘘喰い 18 (ヤングジャンプコミックス)

嘘喰い 18 (ヤングジャンプコミックス)

■ 卑しき罪人が犯したおぞましき罪をTV生放送で暴く『公開処刑ショー』。
いまだ続くその『饗宴』の中、後ろ暗い過去を持つ断罪予備軍たるパネリストたちは、保身のチャンスとして斑目Pから与えられた『マキャベリスト・ゲーム』に挑んでいた。
そこに紛れ、『殺人事件』の暴露を賭けて犯人との一騎打ちに臨む梶だったが、それを嘲笑うように犯人が…そして既に仕掛けられていた罠が、梶の眼前に暗い影を帯びて立ち上がろうとしていた。

■ 細かい所は以下の【雑誌掲載時の感想記事】で。
187話188話189話190話191話192話193話194話195話196話197話

■ 作者が読者に対して振るう『知的暴力』。それに殴打される心地よさが『嘘喰い』の魅力のひとつだと思っていますが、今巻収録の『マキャベリスト・ゲーム(終盤)』のゲーム展開では、それを存分に堪能させて頂きました。いや…本当に凄かった…ふぅ(感嘆の溜息)
■ 梶ちゃんと鴉山による虚実入り乱れた『差し手』の応酬には、リアルタイムで読んでいた時も毎週熱狂させられましたが、こうして改めてまとめて読むと、一見無駄に見える手にまでもきちんと『意味』が行き渡っており、そういった個々の手を様々に含んだ一連のゲーム展開がもう美しいの何の…特に4ターン目の『3枚使用の理由』や、5ターン目の『(ニトロの)1枚が持つ重要性』 に込められていた意味なんかは、何度見てもたまらんシビレますよ。
■ 個人的に、単純に『ゲーム』としてのベストバウトは vs 雪井出の『迷宮』勝負なのですが(アレも何度読み返しても美しいゲーム展開だよなぁ…)、今回の『マキャベリスト・ゲーム(終盤)』も、ソレに匹敵するよなと。
むう…正直梶ちゃんがあそこまでデキる子だとは全く微塵も思わなかった(笑)
■ …と、そんな梶ちゃんの身の丈を越えた(失礼)超大活躍でしたが、そこから続く展開のスケールのデカさ…つーか、予測どころか予想すら拒む斑目さんの性悪さ(笑)が生んだ『賭郎vs賭郎』な事態と、弥鱈vs巳虎による『立会人』の意義(存在哲学)を賭けた死闘の凄絶な鮮やかさがあまりに凄過ぎて、梶ちゃんの活躍がすっかり霞んでしまったなと…不憫な(^^;;)
■ 読み返すと、187話の弥鱈の「立会人として最後まで職務は全うしますよ〜」という台詞に対する斑目さんの笑いが、更にのちのあの展開…あの『死神の顔』に繋がっていたのだなぁと思うと、本当に底知れない物語だよなぁと改めて驚嘆させられます。
■ んで結局、略称は『暗諜』(17巻)なのか、『暗謀』(18巻)なのか。どっち?

■ ソリャソレとして巻末外伝。
『人が笑いを堪える時の顔は、涙を堪える時の顔と大差なくなる』というのを身をもって知ってしまいましたよ…電車内で(死)<だから、危ないから巻末を外で読むなって(^^;;)
■ 夜行さんの、誹謗中傷(まぁ『根拠』はなくもないので『中傷』ではないのか?(^^;;))に傷つき涙する顔、疲れ果てた笑顔、その後の恨みに満ちた悔しげな半泣き顔…などには大層萌えたのですが、結末のあまりのデスっぷりがシャレにならなさ過ぎです。
いや「巳虎もデス珈琲を飲んだゆえにあの顛末だったのでは?」とかいうネタは自分も考えたのですが…飲まなくてもアレかよ!ヒデぇwwwww!
てか先生、本編のあの展開の直後でソレやっちゃらめぇぇぇ!!!(笑)
■ 「来てやったぞ じいさん」とかいう口を利く巳虎と、それに対する夜行さんの態度から察するに、ふたりはそれなりに親しげな間柄だったと推測されるのですが、それでも結局あの顛末とは…オモロ容赦ねぇ。
■ …ああ、でも飲んだ目蒲が死んでて、飲まなかった門倉と巳虎が死んでないから(いや門倉はの生死はまだ不明ですが)、それでも飲まない方がマシなのか?
■ あと「何かと聞かれるとこまるが」と「とにかく悪い予感だ」を連呼する店員で爆笑<この手の繰り返しギャグな小ネタに弱いのです。

■ 以下、ごく個人的なメモとして。
■ そいや『斑目さんの気絶』は完全なアクシデントだったワケですが、ソレが物語上にイベントとして設けられた意味を再考すると、『[勝負]がナマモノであることの表現』、『斑目さんの(油断すると存在から乖離しがちな)[人間味]を描写するための挿話』、『(梶ちゃんの作戦を成立させるための要素としての)物語構築上の都合』とかだったのかなぁ…という考察。
■ 梶ちゃんの『ひとりでできるもん!』な言動も、(彼の性質に即したモノではありましたが)『物語構築上の都合』に含まれるような気もしたり。
いや逆に、そうでないとあの([勝負にまつわる技術]というより、[人間的な成長]の面に於いて)あまりの『学習し無さ過ぎ』具合はちょっと…?
[人間的な成長]云々については、梶ちゃんの『羽山一族崩壊発言』に対するマイナス印象に起因するのですが、しかし、あるいは『ソレこそが彼の精神疾患による反動の一端だった』と捕らえれば、また違った印象になるのでしょうが。まぁ何にせよ、その辺りは今後の梶ちゃんの態度次第かなと。
■ 『[マキャベリスト・ゲーム]に熱狂した自分』を俯瞰してみると、その延長に、「自分が物語に含まれる『設定』を知りたがるのは、『[物語]を[ゲーム]と捕らえた時に、[設定]が[ルール]に相当する』からなのだろうかなぁとかいう再認識があったり。
ソレは『ゲームをする(楽しむ)には[先ず]、そして[より]ルールを知ることだ』というゲーマー意識が根にあるためなのか…どうだかなぁ?