smoke on the (anything)

その文献は、かねてから自分も「実在するなら目にしたいと!」と願いつつ今日に至るモノです。
あと、列記された要項に『支配欲と被支配欲の曼陀羅』も加えてみたいなと。



『数式の項の左右』ってのは、どうやって決められているものなのでしょう?
という以前に、『火のない所に煙を立てる能力』(技法なのか、作法なのか、文法なのか、哲学なのか)は、どうやって培われるものなのかなという疑問が。
やはり(意識/無意識にかかわらず)『嗜好』の恣意的な学習と訓練の成果によるものでしょうか?
自分には、燻っている吸い殻を見て「あー、燃えそう?」とか、あるいはいかにも火のつきそうな素材を見て「燃やされそう?」とか、過去に火災が起こった状況との比較から「火事になりそうな?」…などと、曖昧な『煙の気配』を推測をする程度の能力しか備わっていないので、『能力者』から「どこそこに火を付けました!」と煙モクモクな話を壮大に語られると、「え? どこに火のつく要素が!?」と、その能力(もはや放火を通り越して自動発火の超常レベル)の凄さに、しばしば度肝を抜かれます。

「回り回って最終的に、『かわいいは正義!』的シンプルな原則に落ち着いたりするのかもなぁ」とか思ったりもするのですが、その『かわいい』の概念を掘り下げて左右問題を鑑みると、結局また列記されていた要項(の複数要素)に戻りカオス化してしまうのですよな。うーむ、謎は深まる…。