09/2/4〜2/6

■ 『夜は短し歩けよ乙女/4巻』

遊び心と過剰な熱気、胡散臭い出し物に溢れた学園祭のドタバタ…やっぱ燃えるシチュエーションだなぁ!自分も学生次代に戻りたくなりましたよ。そして御都合主義でも何でも、やっぱりハッピーエンドは良いものですな!(いや、まだ終わりではありませんが)
すれ違うばかりだった先輩と乙女の間にもようやくフラグ(しかも勝利確定パターンの黄金フラグですぜアリャ!)が立って、読んでいてホンワリとしましたよ。どんだけ清純派の大学生だ!そんなんリアルにゃ居るわけねぇぜ!だがソレがいいっ!!!<落ち着け
今後もふたりには、じっくりゆっくり少しずつ、でも確実に距離を近づけていって頂きたいものです。

■ 『BLEACH/37巻』
BLEACH 37 (ジャンプコミックス)

BLEACH 37 (ジャンプコミックス)

そして「行くで」とか格好良さげに出撃したモノの、いまだ本編に姿を現さぬバイザードの面々。作中時間はさほど経過しないのでしょうが、リアル時間で再登場するのは何ヶ月後になるのだろうなぁ…この進行速度だと、速くても半年〜1年以降?
あ〜何つうか、ある程度弁が立つ者同士の舌戦って、より後に発言した方が押し切れたりするモンだよね?…となると発言内容そのものより、いかに自分のターンのまま戦いを打ち切るかの手法が重要になったりするよなぁとか。
まぁ本筋とは関係のない話ですが、『後出しジャンケンの優位性』で展開する物語とは、そこはかとなく同調する部分もあるかもなという思いつき。
藍染のいかにもな紋切り型の悪役台詞には、「もういっそ、よくぞここまで!」とシビれました…ヤツには確実に笑いの神が降りている! 彼の一番の才はソレではないかと思います。正に神(作者)に選ばれし存在!
その辺の個人的な笑いはさておき、実際のギャグ(ナルシスマッチョによるコント)でも爆笑。受け手側への共感を得られぬ、説得力を欠くストライクゾーンの狭い美学は笑いと紙一重…てかギャグそのものにしかならんよなぁ。
織姫とウルキオラのやりとりが、ものごっつい濃密なロマンス感に満ちていて良かったなぁと。もし著者氏アレンジのハーレクイン系小説のマンガ化作品とか、そんなんが出たらマジで面白そうだなと思うのですが。どーすかね?

■ 『魔人探偵脳噛ネウロ/20巻』
魔人探偵脳噛ネウロ 20 (ジャンプコミックス)

魔人探偵脳噛ネウロ 20 (ジャンプコミックス)

ドS女王転じ、ドM女王と化したジェニュインの艶やかで潔い最後。幕間の釣り(何を?)大会。そしてついに直接対決の舞台へと降り立ったシックス。
悪化する状況で、だがそれはまだどん底ではないと嘲笑うように二転三転する状況。終わりの気配を感じさせながらも、なおその勢いを減じず疾走する物語にシビレるぜコンチクショウ!
人ならざるゆえに気付けなかったネウロ。人であるが故に錯誤した弥子。その間隙を縫って駆け出した笹塚の辿り着いた場所…あー早く続きをまとめ読みしたいなぁ(やー、展開は雑誌で知っているので…うーむ…)

■ 『百舌谷さん逆上する/2巻』
百舌谷さん逆上する(2) (アフタヌーンKC)

百舌谷さん逆上する(2) (アフタヌーンKC)

何というか、上手く言葉にならぬのですが…百舌谷さんが求めているモノは、この世では手に入らぬモノなのではないかなぁと。
恐らくソレは人ならざる存在(まぁ神とかいう類?)にしか与えることが出来ず、また、そういった存在から与えられたというのでなければ納得して受け取れない種のものではないかなぁと。
けれど百舌谷さんは、ソレを『人』から貰いたがっているからどうにもならないんじゃないかなぁとか。
『どこで妥協する(あるいは諦観する)か』が、現実的な欲求の落とし所になるのではないかという気がするのですが、そう出来ないからの爆走っぷりであるのだろうなぁとか、そんな印象メモ。
そいや作中では今の所、あの病を患っている姿を見せているのが百舌谷さんだけなので謎なのですが、他の患者の方々はどのように生きておられるモノなのでしょう?
彼女は『財力』に守護されているからまだ良さそうなモノですが、そうでない一般庶民の患者さんはどうしているのだろうかという疑問。その辺りも、物語が進むと百舌谷さんとの出逢いという形で描かれたりするのでしょうかね?

■ 『おやすみプンプン/4巻』
おやすみプンプン 4 (ヤングサンデーコミックス)

おやすみプンプン 4 (ヤングサンデーコミックス)

行き場の見えない真っ盛りの青春と、行き場を亡くしたせいで引きずったままズタボロの青春と。夜は明けても心は晴れない。けれど目を閉じて夢に落ちれば、一時でもそれを忘れていられるから…おやすみプンプン(と雄一おじさん)
けれど日は昇り目は覚めて、また現実に横たわる難問と向かい合わねばならぬワケで。
実は本気で逃げる気になれば、後ろなど振り向かずにどこまでも逃げて、いつしか逃げていることすら忘れたり、その意味を別のモノにすり替えて心の平穏を得ることは可能なのですが、精神力も自活力も未熟な子供はいきなりそこまで潔く遁走はできないのですよな〜。
というか、だからこそもがき苦しむプンプンの姿から目が離せないワケで。
愛子ちゃんの欲しがっているものは、多分『人』が与えられるものだけれど、彼女がソレをただ『与えて貰うもの』だと思って待ち続けている限りは、きっと手に入らないものである気がします。
だって逆に、「自分も与えるから」と果敢に挑んですら、必ずしも手に入れられるようなものでもないですしねぇ…とか、上の百舌谷さんの話と微妙に関連したヨタ話。
それは多分、『愛』と一言に収めるにはあまりにも複雑で歪で愚かで野蛮で純粋で…でも心一つで存外スッキリとそんな枠に嵌ってしまう何かではないかという印象。うーん、散漫。