あの頃キミは若かった@嘘喰い


■ 若い頃の失敗は、その後も延々と引き合いに出されます(死)
■ 『若い頃の斑目さん』というキーワードで考えたら、夢も希望もない下世話な話になりました。
斑目さんに夢を抱いている方(特に女性)はスルーしておいて下さい(土下座)



■ もはや爽やかに木曜の朝になっているので、今週のアレ雑感。
■ まぁ後始末が色々ありそうですが、長かった『迷宮編』もひとまずは閉幕。
■ 数瞬後には一目で真実が分かる、黒服の(おそらくは門倉の惨状に対する)『意趣返し』的な嘘を尻目に梅を囓る斑目さんと、その予測あやまたず笑顔で帰ってくるマルコ。で、「嘘つきだね」の決めゼリフ。
この洒落た一連の流れが綺麗にハマったオチが心地よかったですなぁ。やはり物語は、経過が熱ければ熱いほど、如何に終わるかが重要だよなと。
■ 『意趣返し』と書いていてふと思ったのは、斑目さんの『Mタイムでの1ポイント差の提示』と、『あのタイミングでの盗聴器の暴露(解答を示唆する行動)』。
あれは、(それを賭けているという自覚の重さに差こそあれ)誰もが一つきりの『命』を乗せて闘う『迷宮』という盤上で、一人『ゲームマスター』として『迷宮の神』を気取る(とまでは行かずとも、物見遊山な第三者っぷりの)位置で俯瞰していた門倉に対する、斑目さんの『意趣返し』だったのだろうかなぁとか?
■ とはいえ、決して公平でも平等でもない、門倉の個人的(インテリヤンキー)な美学による『中立』の在り様と、その筋の通し方…自分は「嫌いではありません」でしたな。
自身の驕りにより満身創痍(てか瀕死)でそのプライドは折れていても、最後の『意地』だけは貫き通した立会人(なのかヤンキーなのかの)魂は見事の一言。
この屈辱を高い勉強料として自身の未熟を知り、いずれ一皮剥けた存在として再登場して頂きたいモノです。
■ あと、彼の在り様(と末路)により、自分の脳内に『テリーマン(戦闘解説役)が戦闘しながら仕事(解説)をすると死ねる』という法則が書き込まれました。
いや、リアルバトル中に観測するだけならまだしも、平行して解説までしようってのがそもそも無茶なんだよなぁ…死ななくて良かったですね(笑)
■ ソリャそうと、決めゼリフ時の斑目さんを見て「憑き物が落ちたような清々しい顔だなぁ」と感じたのですが、同時に「彼の中に『憑き物』(あるいは『怪物』、時には『神』)を視てしまうのは、単にそれと向かい合っている側(敵や味方や読者である存在)の心象や先入観の問題であって、斑目さん自身はただ斑目さんであるだけなのではないか?」とも思い…<何を言いたいのか分かり辛い
まぁ、他者の認識やそれとの関係性をも含めてこそ(社会的な)『個人』であろうと思うと、『怪物』も『神』も、確かに彼自身の側面ではあるのだろうなぁとは思うのですが。本人もソレを利用している節もあるしなぁ…なんつーか『園崎家的印象戦術(@ひぐらし)』みたいな?
■ …アレ? 何を言いたかったんだっけ?
(書きながら考えているとどんどんスライドしていくので自分でも分からなく…)