なにか。


■ …しかし残り工程を考えると、間に合うかどうかは本気で自分にも謎。
あと、手間の割に内容がビミョーなので、ふと「何やってんだ自分…orz」と正気に返ると心が折れそうです。



■ UP時はもう木曜朝なので、今週の166話感想。
■ 今週のビックリドッキリ『シャボン玉ホリデー』wwwww
(だとすると、発言主は伽羅であるべきだよな?)
…って、笑ってる場合じゃない!!<とかいう展開なのに、あのネタっぷりは一体…先生…。
■ しかし正直、あの描写を見てもカールの死に対する懐疑的な気持ちが拭えずにおります。
ん〜…楽観的なゆとり感覚でも、認めたくない事実に対する拒否反応でもなく、何つーか…自分の『陰謀脳』的な部分が『囁く』というか?(まぁ概ね雑念を)
なので哀悼の意は、あえてまだ表さぬ所存で。
■ あるいは例え死が事実だったとしても、このエピソードの全図が見えないとコメントしかねるよなと<…と思ったという事実により、やはり自分はこの作品に対し、キャラクターではなく物語に重きを据えているのだなと改めて気付いたり(まー両者は不可分ではあるのですが)
■ で、「このタイミングでその登場かよ!」という伽羅。『ランプの魔神』とは絶妙な形容だよなと感心。
『生殺与奪』を彼に語られると、同じ台詞でも息子が口にする世迷い言(だが実行力はあるのでタチが悪い)とは格が違うよなぁというか、そんな『食物連鎖』の超上層に在る彼も、『人間力』のピラミッドに於いては斑目さんの下。斑目さんってやっぱ恐ぇなぁ…というかいう脳内オチ。
■ ともあれ、実際にカールを見殺したにせよ(ひょっとしたらそうでないにせよ)、彼の傍若無人でフリーダム極まりない言い草と振る舞いは、(これまでの姿から自分が感じた)彼の思想(てか美学)とブレがなく、その魅力は一向に減じなかったという…ゴイス強固なパーソナリティだなと、改めて惚れ直しました。
ちうか、アレを『借り』だと思ってたんだ?(笑)<まぁ彼ならではの単なる戯れ言かもしれませんが
『お前の命は嘘喰いのもの』的発言は、「だから勝手に死ぬな」という彼なりの遠回しのエールなんでしょうかね?
そして更に、「『まずい珈琲』とか言うくせに、飲むんだ?(笑)」…とかいう辺りも含めてまた、何とも魅力的であるなと。
■ 物語は、紆余曲折の末に梶ちゃんと息子の一騎打ちへ。果たして梶ちゃんは、カールが一足早く辿り着いた真相をその手に掴めるのか!?
…いや、ソレを見切れないと再び『必勝手段』を備える息子から一方的になぶられるだけなので、今度こそ梶ちゃんにはキモ冴えで覚醒して頂かないと。
『雄牛の吼え声』は、単なる『折角備わっている機能なので、劇的に見せましょう』な描写ではなく、カールからのヒント…なのかどうか?(しかし、そうでもないと勝機の掴み所がないよなぁ…)
…うあー、続きを早く! 1週間って短いけど長いなぁ!

■ さて、植木でホリデーな「お呼びでない」的発言をキメた梶ちゃんにまつわるアレコレ。
以下、自分の中でもまとまりきっていない印象を、とりあえず書き記しておこうという雑感メモ(なのでオチもないくせに無駄に長いのでスルー推奨)

■ 眼前に横たわる具体的な『死』を目の当たりにし、怒りと恐怖と絶望の中で迎えた破滅の臨界点…その時、自らの心身を守るために望むであろうのは、脅かす全てを退け滅する『圧倒的な力』。
けれど彼はその状況に在りながらも、その誘惑をきっぱりと拒んだ。
それはただ一時の感情の高ぶりによる勢いで、美しい理想に殉じるあまり現実の残酷を拒む幼稚な駄々だったかもしれない。
…それでも、梶ちゃんは『嘘喰いなら口にしない』選択(意思)を叫び…ひょっとしたら、斑目さんには(彼の知性や合理性を、逆説的に『枷』と考えた時に)『出来ない』選択を、『した』。
そんな梶ちゃんを、自分は本当の意味で初めて『凄い』と驚嘆しました。
■ と、同時に「彼の心には、人としての大切な根本的な『何か』が欠けている気がする」とも思い…いや、欠落というより逸脱なのか?
以前に愛読者仲間な同僚と、「梶ちゃんはあの境遇で、よく歪まず育ったよなぁ」 「てか、現在のあの環境でもまだソレがブレないのも凄い」…とかいう話をしていたのですが、今回の話でその違和感が更に強まりました。
■ 梶ちゃんは、ごく一般的な生活を送る読者が共感を覚える喜怒哀楽の持ち主で、当たり前のように小市民的な善良さを発揮し、根が真面目でそれなりの向上心や自立心も備えた、『「どこにでも」は居なくとも、「どこか」には居そうな好青年』です。ちょっと(?)鈍感で頭が温かい辺りに親近感が湧き、警戒心を解かれるような、あまりにも平凡で普通な若者。
■ …というのが、『現代日本の日常』の枠に収まっていたなら理解もできるのですが、それを遙かに逸脱した状況と『世界』に身を置き、失敗の許されぬ綱渡りをしているのにも関わらず、彼は変わりません。
少なからぬ執着と責任を負った他者の命が眼前で失われて(いると彼が認識して)もなお、彼は変わりません。
確かに『人の本質はどんな経験を経ても容易には変わらない』とは思うのですが、彼の『(理想的で善良な)普通』という『属性(本質)』が、度重なりエスカレートしてゆく『異常』な事態の中にあっても『変わぬまま在り続けている』ということが…そう、自分は恐いのです。
自分は斑目さんを「おっかない人」だと思っているのですが、ソレとは別の意味で梶ちゃんの在り様が「キモ恐い」のです。
■ 彼の『凡庸』な在り様は、異質な状況にあってはもはや『異様』であり、そのそれがそのまま永らえ続けていられる事態の『異常』さ…そのような逆説的な違和感が、自分の感じる不安(定)感の正体なのかなぁとか…いや、詰め切れてないな。
■ 白い布に落ちた墨は汚れだが、墨で染められた布に残る白地は何なのか?
『自分以外の全てが狂っていると思うならば、とりまく世界から見れば自分が狂人』なのですが、当人はソレに気付かない(という正気あるいは狂気であるがゆえの断絶)。で、世界も世界でそんな一部をも呑み込んで、混沌とした常軌で回っているとかいう、ごく『平凡』で『ありふれた』『日常』。それはまるで
■ …って、あー違う。そういう話じゃない。また横滑りしてるなぁ。
まー、雑感メモなんで、とりあえずこの辺でシメ。