賭郎の年末進行@嘘喰い


■ 相変わらず無意味なネームが無駄に多い<というか内容自体がさ…(死)
■ 過去ネタの『まとめ倉庫』的なモノって、需要がありますかね?



■ UP時はもう木曜朝なので、今週の170話感想。
イカサマ破りの種明かしは、シンプルかつ効果的なピタゴラ装置
梶ちゃんの『ホコリ払い』の仕草は、「振動探知?」とは思っていたのですが、その『可視化』には予想が及ばなかったなぁと。
しかしポインタや破片の配置具合とか、結構綱渡りな仕掛けだよなぁアレ(特に後者は振動でウッカリ角度とか変わっちゃいそうな<そこまでの振動じゃないか?)
■ というか、ド序盤の喫茶店内のあのくだりからがもう伏線だったのか!
しかも梶ちゃんの「ちょっとトイレ」じゃなくて、若者(そして空白時間のカールの行動)の方なのか!
てっきり伽羅の梶ちゃんに対する人物評価エピソードへの、単なるとっかかりな小道具かと思っていましたよ。わーお…「まさか、アレがソコに!」という再構成のハマり具合がたまらんですなぁ。
■ とか書いていてふと、「この作品は先ず『回答』ありきで、それを元に『問題』やその本質(構造)を紐解くことこそが、『謎』の焦点(核)に据えられているのだろうかな」と思い…思ったまま書いてみたら、でもちょっと違うような?
とりあえずメモ的に保留。
■ 梶ちゃんの圧倒的優勢なターンですが、息子の「分かる」という一発逆転的な発言での引き…コレは息子の『窮鼠猫を噛む』フラグなのか、『梶ちゃんが施していたもうひと仕掛けに引っかかって完全敗北&決着』のフラグなのか。
この段に至ってもまだ予断を許さぬ展開で、そわそわしつつも滾ります。
■ そいや羽山の父は今、どこで何をしているのでしょうな?

■ 以下、余所様で見たキーワードに対して喚起された、私的解釈のメモ。
■ んー…もし『斑目さんよりも梶ちゃんの『怒り』の方が、より『私怨』に見える』としたら、ソレは単に『私』の部分が、斑目さんよりも梶ちゃんの方が(読者へのアプローチとして)はっきり見えるためではないかなぁと。
■ 梶ちゃんの『怨』は、それを抱く心情や、そこに至る過程が理解しやすく、『実情』として他者(読み手)の共感を得られやすいので、より『私』としての認識が強調される(ように感じられる)。
対して斑目さんの『怨』は、その心情が梶ちゃんほど明確でないため、斑目さん自身の『実情』をあまり含んでいないような気がします。
■ …というか、斑目さんの『怨』(だと読み手が感じているもの)は、断片的な情報(斑目さんが小出しにしている『情報』としての言動)を、読み手が各々自己に置き換え、咀嚼し、拡大解釈した『(彼に共感することを前提とした好意的な)想像』の結果であり、それは『私怨』という『個人的な怨恨』というよりも、読み手の倫理観と共感(というか思い入れ?)に添って逆説的に導かれた『義憤』として昇華されていたりするのではなかろうかと。
■ しかし斑目さんの『実情』は、実はそういった読み手の『配慮』を拒む埒外にあるのではないだろうか…という個人的な妄想(あるいは『共感を許さぬ超越存在』を彼に仮託する幻想、もしくは「であった方が面白いよな」という単純で無責任な願望)
■ …自分でも何を言ってるんだか分からなくなってきたな(^^;;)