夜行さんの勧誘活動@嘘喰い


■ 実際の所、立会人の欠號ってどうやって補充されているのでしょう?
もし次に外伝をやるとしたら、メイン筋と少し離れた賭郎の、舞台裏話とかやらないものかなぁと。考えれば考えるほどオモロそうな組織だよなぁ賭郎。



■ UP時はもう木曜朝なので、今週の171話感想。
今回は特に雄弁で、しかしあらかた無意味です。
■ 『ファントム現象』…ファントム・リム(ファントム・ペイン)と類似の現象?
つーかまぁ、端的に言えば『幻聴』でしたか。
だよなー、先週「よもや梶ちゃんの更なる仕掛けに引っかかっての錯誤!?」とか思ったのですが、そんな仕込み(追い込み)が出来てたら、ソレはもう梶ちゃんではなく斑目さんだよな(笑)
■ 言葉巧みに息子を牛に押し込んだ滑骨ですが、アレは始末上等でハナっから助ける気はないのではなかろかと。
そいやあの証拠品は今、誰が持っているのか? 滑骨だとしたら、ソレを素直に渡しますかねぇ…次週は『暴』で全てをチャラにしようとする滑骨のターン?<まぁそうなったら蘭子とレオも黙ってはいないでしょうが
■ ちうか、あの『耳』。以前に
『他の事件』の証拠となる『耳』が、梶ちゃんが焦点とする『奥多摩事件』にも有効なのか…前述の『遺体損壊』が、『(息子が犯した全ての事件に)何らかの共通性がある』となれば、有効にもなるのでしょうが。
…とか書きましたが、入れ歯と合わせて息子と共に当局へ突き出せば何とかなるかもしれません(?)が、息子が死んだ場合は、息子の関与が捏造可能な(という解釈も出来る)証拠品と、状況証拠だけではやはり厳しいのではなかろうかなぁ?
しかし窒息フラグまでもが立った今、あの状況で息子を生かしておくことができるものだろうか…梶ちゃんも諦観しちゃってるっぽいですしね。
■ その辺も含めて来週以降は、個人的には序盤からかなり興味深かった『勝負の後始末』のエピソードが見られるかなと。
過去の大勝負は全て『賭郎』の仕切りであったため、アフターケア(対価の取り立てや条件の履行)がスマートな印象でしたが(あ、でも梶ちゃんの勝負後はグダグダだったなw)、今回その介入(確実性)はなく、諸々の『取り立て』にはかなりの波乱が生じそうかと。
■ そして『迷宮』の大詰め時にも「でもまだ門倉さんのイイトコ見てないよね?」と思っていたらばあの展開だったのですが、ソレ風に言えば「まだレオのイイトコ見てないよね?」という気持ちです。期待しちゃうよなー。
ちなみに伽羅に関しては、『ランプの魔神』と続くエピソードで割ともう満足できたので、まぁこのまま傍観ポジションであってもいいかなと(笑)

■ さて、梶ちゃんと息子について。グダグダ感が当社比3倍な記述(死)
■ 「意味わかんねー/知らねぇー/納得できねぇー」という言葉に端的に現れていますが、息子は自分に不都合なことは全て拒絶し排除して思考停止して、都合のいいものだけを甘受し、なので他者を省みることもなく(他者の善意も悪意も自身には何一つ影響を及ぼさないので、そうする必要がない)、それでも問題なく『生きることを許されてきた』ワケですよな。
まぁ程度に差こそあれ(息子ほどの財力(実行力)がないのであそこまで逸脱はしないにせよ)、そういう幼稚で視野の狭い『プチ息子』は、残念なことに現実社会には五万と居るのですよ。
そういうガッカリな現実は、読み手にも『理解』が及ぶモノなのです。
■ なので、梶ちゃんはそんな息子を「理解できない」と言っていましたが、アレは「理解は及ぶが、共感も納得もできない」というのが真意で、その諸々を含めて『理解』と言っているのではないのかなと?
で、凄い(というか驚愕した)のは、梶ちゃんが「頑張ったけど」と言っている点。
わー…あの一連の経緯があってもまだ、アレに対して理解しようと『努力』したんだ、梶ちゃんは!?
それでも『理解』できないから息子を許せなくて、許せないから助けられないと絶望して、泣いて、息子が『断頭台』に上がるのを見送ったんだ?
■ 正直、自分には彼の『善良さ』というのはやっぱり、情動のどこかが致命的に壊れているための産物にしか思えません。しかし、だとしてもその彼の徹底した『善良たる在り様』には感服せざるを得ません。参った。
梶ちゃんは、意思や覚悟が揺らぎはしても、核である魂がブレない。
そう在れることが彼の『強さ』だとするなら、やはり彼は十二分に非凡だよなと。
あの頼りなさげな言動の芯には、けれどそういう『おっかない』本質が埋まっている…そのような彼の在り様そのものが、ひとつの完璧な『擬態』なのかもなぁとか思ったりしました。
確かに彼は「大した馬鹿」だなと。

■ 今回、それと別ベクトルで凄いなと思ったのが、息子の『人物的描写』。
■ 決定的な敗北により死の危険に瀕した息子は、梶ちゃんの前で自らの生い立ちを悔恨し、『反省した』という姿を見せます。しかし、「自分を思って助言をくれた人たちを踏みにじったことを悔いる」と言ったその口で、息子は『善良』な人々の愚かさをなじり、隠そうともせず嘲笑いました。
■ 驚きました。てっきり「息子は命乞いのために、その場しのぎの口先だけで『反省』を装っているのだろう」と思っていたら、そうではではなく、彼は『本当に心から反省していた』のです。
■ 例え彼の『反省』が、我々の常識や道徳と照らし合わせた時に、「そういうのは『反省』とは言わない!」という、梶ちゃんが「理解できない」と言ったようなモノだとしても、「意味わかんねー(以下略)」な生き方をしてきた彼にとっては、あんなんでも、というかアレこそが『反省』だったのですよな。
…という、『羽山郁斗』という人物を、そのいびつな性質はともかく、その言動を『一個人』としてブレない描写でえがき切った著者氏の描写力に感心することひとしきりでした。
とても興味深いので、その辺りはコミックスでよく読み返そうと思います。

■ 以下、妄想に類する蛇足メモ。
■ まー、ソレはソレとして、息子の『犠牲』になった教師、そして今回の老夫婦。『善良』ではあるのでしょうが、彼ら自身にもそれなりに『問題』はあったのではなかろうかと思うのですが…<教師については以前記述した通りですが、あー、でも老夫婦についてはまた別の問題か…
■ 著者氏がそういった人物(一見その立場は『善良な弱者』だが、本質的に『想像力を欠いている』ことが(突き放して言えばある種の『怠惰』が)不幸を招いてしまったタイプの人々)を『被害者』として物語上に『配置』しているのは、何かの『意図』(あるいは揶揄)なのでしょうかね?
■ …いや、ソリャ単に、
『「どうすれば、どうなるか」という予測をせず、「どうしたから、どうなったのか」という反省を欠く、「考えれば分かることを考えようとしない者」に対して、理解はしかねるし共感も出来ない』
という、自分の独善かつ傲慢な価値観による妄想か(^^;;)
(その印象は、『悪意の加害者』である息子に対しても同様ですが)
■ とかいう物言いを見て、不快になった方には陳謝。
いえ自分も、だからといって(生命を含む『財産』を)「不当に搾取されても仕方がない」とは思っていませんし、息子の行状には心底反吐が出ます。
でも、自分の『善意』が『独善』である可能性と、それを『不快』や『被害』と思うような人もいるのだということ。そしてそういう人たちが悪意で報復して来かねないことは、頭のどこかには置いておいた方がいいのではないかなと…(あ〜、酔っぱらいのクダ巻きになってきた〜)