10/1/28〜1/31

■ 『ねこむすめ道草日記/3巻』

ねこむすめ道草日記 3 (リュウコミックス)

ねこむすめ道草日記 3 (リュウコミックス)

人に近い心をもつ妖怪と、時に妖怪の力でも成し得ぬことを成す人間。
それぞれが在るように生きてすれ違い、けれど時に交わったりする時、そこから愉快痛快でちょっぴり切ない物語が生まれる。
新たな人間のお友達候補である委員長。種は違えど同じ『女の子』である彼女と黒菜の間に友情は芽生えるか? 大輝を挟んでの三角関係(?)も含め、『学校の怪談』なエピソードの続きが楽しみであります。

■ 『トニーたけさきのガンダム漫画/3巻』帯文句からもう爆笑。驚きの着眼点と、そのインパクトを更に広げるオモロ展開。うーむ、今巻も(特にミニスカなキシリア様と、アメとムチのセイラさんが)すンばらシー!!!
「この作品…『ガンダム30周年記念』として、アニメ版『銀魂』のスタッフで映像化してくれぬだろうか?」と夢想しております(笑)<あー、でももう間に合わないか。35周年辺りでどーすかね?

■ 『天上天下/21巻』
天上天下 21 (ヤングジャンプコミックス)

天上天下 21 (ヤングジャンプコミックス)

御都合主義と言われても、やはり真夜の復活と光臣の存命は嬉しいですなぁ。
超絶画力による壮絶バトルも熱いのですが、登場人物達のさりげない日常のエピソードがとても好きなのです。
今巻でグっときたのは、若き真貴子の出奔の光景。
抱き合い口づけを交わす、一見ただのバカップルにしか見えない男女。
しかしそんなふたりと車に積まれた荷物を見て、やれやれというように、けれどどこか微笑ましそうな表情で、その旅立ちにささやかな祝福とちょっとした揶揄を込めて警笛を贈る運転士の姿。
暗き過去を背負い望まれぬ子を孕み、けれど『母』としての愛情と希望に溢れて未来へと旅立った彼女の決意とその美しさ。そこに幸あれというように鳴らされた警笛の音。
それは、例え哀しき結末へと繋がるものであっても、その残酷な道程が悲劇だけで満ちていたのではなかったのだと、短くも強く叫ぶような印象で…短いシーンでしたが、とても印象に残ったので記しておこうかと思いました。
やー、ですが正直、キャラクターを主眼として読んでいる時は面白いし熱いのですが…『物語』としてはもうそろそろ終わってもいいと思うのですよね、この作品(^^;;)

■ 『少年怪奇劇場/下巻』『フツー』を生きる私達には経験し得ない事象に見舞われ、でも私達でも同じように感じるであろう気持ちを胸に生きる、少年少女の『怪奇譚』。
作中の台詞にあった「心だけの『本当』なの」という、あまりに不確かで曖昧な言葉。けれどそれは自分以外の誰かにではなく、他ならぬ自分を裏切らないという、不可侵で絶対の『約束』。
揺らぐ時に他者の手を助けとして借りることがあっても、立つのは自分の足と意志で。なるしま作品の登場人物たちに共通して感じる『強さ』のようなものを、この言葉の中に垣間見た気がします。
描き下ろしの『高層階保健室』の主人公たちは、もう立派にいい歳の大人なのですが、社会的な地位だの世間体だのという鎧や垣根を『怪奇』により破られた彼らの『心』は、『少年少女』のひたむきさと誠意をむき出しにしていて、「あー、やっぱ『少年怪奇劇場』だ」と思うワケです。上手い。そして心地よい。この得も言われぬ至福感を伝える術(言葉)を思いつかない。
『子鹿狩り』で語られた『自己存在の意義』については、この作品を読んだ当時から今でも、時折考えます。
まぁ結局現在も、他者に誇示できる明確な『存在価値』を持たぬまま何となく(しかも楽しんで)生きていられる自分なワケですが、ただ、時折だとしてもそのことを考え続けることを放棄してはならんなぁ…とは思うのです。例えそれが同じ場所を堂々巡りするだけの愚挙だとしても、それを止めたら他者より先に自分が自分に『価値』を見いだせなくなる気がするのです。よ。とか、そんな。

■ 『天体戦士サンレッド/10巻』何だかんだでやる時はやったり、意外な格好良さを魅せてくれたレッドさんに惚れ直した巻。ブルース・リー→ジャッキーのなりきりコンボは、少年の心を持つ全ての者の通過儀礼だ!(笑)
かよ子さんとのラブラブっぷりにもほんわりしましたよ。ビバ、ラブで米!
そしてウサコッツ(子供)のあしらいは、早くも父の風格…早く結婚しちゃえよ!<でもリアルに考えると『ヒモ状態』のままでは厳しいよなぁ(^^;;)
笑い的には『死人』ネタのコンボが妙にツボに入りました。続巻でのハニーたちによる新たな活躍に期待しております。

■ 『星は歌う/7巻』
星は歌う 第7巻 (花とゆめCOMICS)

星は歌う 第7巻 (花とゆめCOMICS)

咲と奏、歳の離れたワケアリいとこが『家族』となった経緯のエピソード。
些細な思いやりと少しずつの歩み寄り…そういった小さな優しさを積み重ねて築かれた『家』が、ぎこちなく寄り添ったふたりをかけがえのない『家族』にした。
繊細に丹念に描写され、えがかれたふたりの言葉や思いが、切なくも愛おしく伝わるお話でした。
しかしこの作品にしても、前作の『フルーツバスケット』にしても、著者氏の作品の子供たちはアレだけ親に酷い思いをさせられているのに、それでもまだソレを切り捨てられずに葛藤しているのが、いたたまれないというか何というか…まぁ個人的経験からすると「さっさと『切り分け』ちゃえば楽になるのにねぇ?」とか思い、もどかしい気持ちにさせられたりなー?