11/4/3

■ 自己内の諸要素ってかコンディションがどうにも断片化し過ぎていて、『総体』として機能していないような気がする昨今です。
デフラグが必要だと思うのですが、何をどうしたらいいのだろうかなぁ?
■ うー…ぬー…でも元からこんな調子だった気もしたり?



■ 四月馬鹿も終わって新年度。季節特番や新番組が続々と放映される時節になっており、気付けばまた録画用HDDの残量が1時間を切っておりました…今すぐどうにかしないともう明日放映の番組が録画できねぇ!(T▽T)

■ 自転車通勤の途中で、危うくビーグル犬の尻を掘りかけました。
飼い主は散歩中の愛犬のリードをしっかり握られますように!(^^;;)

■ といった日常ですが、勤務先の短縮されていた営業時間帯が通常に戻り、束の間の一般的な『朝起きて昼働く生活』が終わって『夕方近くに起きて夜働く生活』に戻りました。
『爽やかに澄んだ青空の下、意欲と生活感に満ちた人々が、これから始まる一日に想いを馳せ行き交う中を、自転車で職場に向かう生活』も悪くはなかったのですが、やはり自分には、『気だるく暮れゆく空の下、束の間の休息を願い家路を急ぐ人々が、終わる一日に想いを馳せ(以下略)』の中で生きる方が心地良いなぁと、改めて再認識しました。

■ 以下、面白味もなく意味不明なのに無駄に長いので畳んでおきます。
■ というワケで、自分的にはようやく『日常』と思える日々が復活したわけですが、日をまたいだ深夜に家へと向かい辿る道のあちらこちらでは様々な照明が落とされていて、やはりかつてよりも格段に「暗くなったなぁ」と思わされました。
ほんの少し前とは微妙に異なりつつも、けれどこれが今の『日常』です。
■ ふと思い出したのは、田舎から上京したばかりの頃のこと。
夜になってもどこもかしこもが明るくて、「はー、コレが『都会』なんだなぁ…」とか思っていたのですが、そんな上京生活数ヶ月目の頃。高校時代の先輩に呼ばれて、先輩が住む高尾の僻地に宿泊しました。
そこでは当たり前のように、夜になれば街も住宅地も暗くなっていて、頭上を見上げれば光害の影響を受けぬ綺麗な星空がくっきりと広がっておりました。
(その時、「ああ、『夜』ってのはこうだったよなぁ…」と妙な安堵感を覚えたことは、今でも時折思い出します。)
■ …まぁもちろん現在の自分が過ごす区内で、しかも国道沿いで『節電』といっても、かつての田舎暮らしの時や、前述の際に見た風景よりは随分と明るいかと思いますが…それでも何故かその時のことを思い出したのです。
■ けれど今感じているのは、そういった記憶に因る懐古的な安堵感でも、利便に慣れた現在の(そしてその利便が微妙に損なわれたための)不安感でもなく…何だろうなぁ…「この『暗さ』がいつのどこでどんな理由で生じたものであったとしても、そういった諸々の以前に、そもそも夜ってのは暗くなるモンだよな?」とかいう、ごく妥当で陳腐な、淡々とした認識でした。
■ うーん…何が言いたかったのか…いや別に何かを言いたかったワケでもなく、ただ単なる主観的心象の曖昧な記録なのかコリャ。
もしそれに意味があるのだとしても、それが分かるのはもう少し先になるのかなぁとか思います。
そんな風に、いつまで続くか分からない『猶予』を、今日も過ごしています。