連載分感想(257話)

■ UP時はもう木曜朝なので、今週の257話感想。
■ 人の心は、その外に纏う肉体とは不可分である。ゆえに、偽薬なる効果が生まれ…また逆に『偽毒』なる作用も起こりうる。
極限状態におかれた人の精神は、時に肉体を生かし、そして殺す作用を成す。
■ そいや(うろ覚え記憶ですが)『ただの棒を『焼け火箸』だと思わされて腕に押しつけられた人が、実際に腕に火ぶくれを生じさせた』という話を、見たか聞いたかした事があったなと。
■ というワケで、先週の判事の『無駄に命を落とす必要の無い事に…』という発言の意味が判明。
『大層な由来と仕掛けの拷問具が、実はダイレクトにブラフだった』というか…確かに傍目に(ドラゴンに溜まった血液の量を)見ても、「アリャ死んでてもおかしくないてか、軽く考えても余裕で失神してる量だよな?」と分かった(実際先週の感想で『既に結構危なそうな気がする』と書いていた)のですが…<「でももし自分が当事者だったら、パニックで気付きゃしないかも…(^^;;)」とも思い。



■ 死線の間際で命を賭けて撻器と打ち合う課長は、その刹那に自身の破壊死を実感として予見するかのごとき幻視を成す。(描写こそされてはいないが、恐らくはそれと対峙する撻器も同様の幻視をしたものと推察される?)
■ 興味深いのは、それに際してあくまで自分を『組織の機構の一部でしかない存在』として認識・諦観し(『アクセルが踏まれる限り 車輪は動き続ける』)、ただ『現在』を贖うべく自身とその働きをもってそれを全うしようとした課長と、一見それと同じような境遇に見えつつも、更にその先の『未来』を希望(あるいは愉悦)として見据えて切り抜けようとした撻器の在り様の対比で。
■ それら(組織構成員としての彼ら)の在り様と、その勝敗を分けたのは(まー能力差はさておくとして)、各々の所属する『組織』の在り様だったのかなと。
「その『組織』はどのような理念に準ずるもので、それは自身の全てを捧げるのに足るものか?」という、根幹基礎を成す問いに対し、それら全ての答えを端的に成すかのような『上司』(お屋形様と副総監の決闘とその結末)の描写をもって答えと成した構造が、説得力を持って物語そのものにはまり込んだなと。

■ とかいう概念的な話はさておき。
■ 賭郎側(夜行さん&撻器)にとって、このタワー勝負はあくまで『搦め手の成立(権益の獲得)』を目的とするモノであり、『vs密葬課』戦すらその達成までのタイムスケジュール内の(時間稼ぎの)イベントでしかなかったというオチ。
で、死闘を経た説得の果てに(その充実しまくった『命がけ』という事実をもって)敵(密葬課)へと真意を伝え、更にはヘッドハンティングまで成すという着地点。作中的にも作外観賞視点からも上手いなぁという展開で心酔。
■ でもってキメの撻器の台詞でシビレ&爆笑。
いや密葬課の方々からすれば、賭郎の内部事情(賭郎を抜けたあげくに生き延びている伽羅のこと)なんか知らないんだから、カッチョイイ台詞のままサラっとバックレときゃよかったのにwww
つーか『出た奴も…』『伽羅以外は』ってコトは、やっぱソレ以外は粛正されたのだろうなぁ…やっぱ恐いよ賭郎www
■ 夜行さんは左腕に銃弾を喰らったものの平気そうでしたが、防弾アーマー着用?
エアバッグの加害性を攻撃力に転化した夜行さんの臨機応変具合も、いかにも『百戦錬磨』なイメージ通りで素敵でしたなな〜!

■ 『超個体』については、このWikipediaの項を見るだけでも「まー実際は作中で撻器が例えに上げた話ほど単純なものでもなさそうだな?」と思うのですが、まぁ大外枠としては外してもいない気もするので、今回のソレだけでなく、毎度その辺りを著者氏は『ネタとして』上手く使っているよなという印象で。<ああいや、否定や批判ではなく、物語の構築(装飾)のための引用作法としては上手いよなと言う賞賛です。

■ やー…てか今回の顛末(副総監の末路とお屋形様の総括から垣間見る『組織論』)については、割と実体験的にも笑えないちうか、「ソリャお屋形様みたいに質実備えたカリスマが実在顕現して、もし自分がそれに仕える『幸運』に恵まれたら速攻で傾倒しそうだが、現実には副総監みたいのしかいなくてソレと迎合してやってくしかないんだよネ〜」とか思うと世知辛いよなとか…。
まぁ現実的な『日常生活』維持するのには、副総監みたいのに従う方が、まだしも楽そうにも思えますが(笑)
■ …とか、随分と脱線しましたが、「賭郎の構成人員がこんな風に増殖構築されてるのだとしたらば熱いなぁ!」と思うヘッドハントでしたよ。で、課長や鷹さんが賭郎入りしたとして、何號に収まるのかが興味深い所です。